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体験談・コラム

人間は変わるのかも......(後編)

人間は変わるのかも......(後編)

Office G&C
代表 中山 正人さん


前編では、人見知りな子ども時代から、転職や大学院入学の経験、その道のりのなかで少しずつ変化していくご自身の仕事への意識が語られました。

後編では、激動の四十路ー転職や病気の克服を経て、独立されるまでのお話をお送りします。

※前編はコチラ→人間は変わるのかも......(前編)

(後編)
■「えっ、ガンですか?」
近所の内科医院のドクターは冷静でした。
「そうです、残念ながら薬では治りません。悪性の腫瘍ができています。紹介状を書きますから、至急その病院へ行ってください。」

 2000年8月の会社の集団検診の結果、胃の再検査をするようにとの手紙が届いたのが9月半ば過ぎ。放っておいたら、グズグズして再検査にはいかないと思ったのでしょう。カミさんが、「胃カメラ予約しておいたよ」無理やりでした。その結果がなんと「ガン宣告」だったのです。
 一生懸命落ち着いて(落ち着いたフリをして)やっと絞り出した言葉が「センセー、どのくらいまで進行しているんですか?」
 返ってきたのがこれまた冷静で「はっきりとはわかりません。ガンの進行は5段階で表わされますが、ステージ2まで進んでいる可能性がありますが、手術しておなかを開けてみないとわかりません。」

 11月に行った手術は、幸い無事に終わり、精密な検査の結果ステージ1と判明しました。5年間の追跡検査も無事クリアし、今日に至っています。


■会社への復帰と体力の管理
 手術の4日後、当時勤めていた会社の社長が見舞いに来てくれました、と同時に、今日の取締役会で、年明け4月から、経営企画と人事の両方を担当する執行役員をやってもらうことが決まったという宣告(内示ではなく)でした(私には、そう聞こえました。だって、ちゃんと復帰できるのか、どのくらい仕事をする体力があるのかさえ、全くわからない状態だったのですから)。

 1ヶ月ちょっとの自宅療養ののち、1月の中旬に仕事に復帰しました。もちろん、丸1日仕事をする体力はありません。食事も1日6回以上に分けてちびちびと、という状態です。
しかし仕事は待ってくれません。自分が動ける時間内にどれだけできるか、知恵を絞りました。書類はポイントをつかんで読むこと(全部を隅から隅まで読む時間はありません)、自分の使える時間を相手に伝えること、時間を15分単位で管理すること、などなど。そうこうしているうちに、体力は少しずつ回復してきました。


■海外企業と仕事をするチャンスを得る
 復帰して1年ちょっとたったころ、アメリカの投資銀行から電話がかかってきました。面白いベンチャー企業があるので、共同事業を目的に投資しないかということでした。
 転職前には、海外で仕事をさせてほしい、といいつつ実現できなかったので、すぐに「興味あるので会いたい」と返事し、東京へ出張しました。日本人が興し、ロサンゼルスを本拠に日本企業とアメリカ企業の買収や事業提携の仲介をしているとのことです。

 少しずつでも、英語の勉強を続けてきたのが役に立つ日がついにやってきました。最初に紹介された2つの案件はうまくいかなかったものの、3つ目には、経営も興味を持ち、億単位の投資を伴った共同開発契約を締結することに決定しました。米国の弁護士や投資銀行相手に、英語の書類や、メールとの格闘が続きました。アメリカ(カリフォルニア州ロサンゼルスやサンディエゴ)へちょくちょく出張もしました。

 体力はフルには回復していませんでしたが、時間をやりくりしつつ、できるかぎりのことをしました。何せ部下や周囲にビジネスで使える英語ができる人がいなかったのです。これは、しんどかったですが、ラッキーでした。海外企業との契約や提携に必要なプロセスがゼロから体験できたのです。何回かの交渉を経て、契約締結、投資の実行に至りました。必要に駆られて、私自身の英語も実践を通して鍛えられたと思います。ビジネス生活で最高に面白い時でした。


■またもや、ドクターストップ
 しかし、会社の行く末を巡っていろんなことがあり、(経営内部のことですから、詳しいことを伝えることができないのですが)、会社が採るべき戦略をめぐり、いろいろな摩擦もありました。経営企画というと、その最前線の部署であり、わたしはその長でしたから、有形無形のストレスがかかっていたのでしょうね。2004年にドクターストップがかかり、3か月ほど休むことになりました。放置していたら、体のどこかが(内臓)がやられてしまうか、鬱になってしまうか、どちらかだと言われたのです。なかなか人生や仕事はうまくいかないものです。

 復帰後には、執行役員のポストを自主的に返上しました。その後は買収した子会社の社長が引っ張ってくれて役員になりました。親会社(買収した側)と子会社(買収された側)の関係もなかなか難しいものです。2006年末にいろいろ考えた末に退任することを決意しました。

 そこへ、大学のキャリア教育、キャリア支援をするための人を求めているがどうだ、という話があり、採用されることになりました。会社勤めをしながら(もちろん会社の了解を得て)、大学のゲスト講師をしたり、キャリア教育科目の非常勤講師をしていたのが役に立ちました。単身赴任をせざるを得なかったのですが、3年間という心づもりで、やることにしました。49歳になっていました。その間に、企業に転職先を見つけようとも考えていました。


■そして、独立......
 健康を害し、仕事が激変し、激変した仕事を楽しみつつ、また健康を害し、激動の40代でした。

 今から思うと、この頃には、「遠くない将来、独立しよう」という漠然とした思いが芽生えていたのだと思います。そして、次第に意思が固まっていたように思います。

 その結果、2010年4月の独立を迎えたというわけです。PONTAさん松田さんをはじめ、いろんな人々のご縁に助けられています。人との付き合いが苦手だった(過去形にしたいと思います)ワタシがですよ。

 長々と書いてきました。今は、会社勤めで経験し、経営大学院での学びで体系化した仕事術に、大学の仕事で得た経験(キャリア支援や講師)を加え、アメリカ企業との交渉で得たネットワークを使って仕事をしています。
 そのときどきにストレスにやられたり、大病になったり、意図しないことで転職したりということがありましたが、結局はいろんなことがつながって今があるのだと思います。

 人生や仕事って、計画通りにはなかなか進みません。計画したことに、外の力が加わって、思わぬ方向へ行ってしまうことがあります。それが間違いだとは言い切れません。人生はやり直しがきかないですから、何が正解かなんてわからないのです。
 ただ一つ言えることは、経験や人とのかかわりの中で、人間は変わっていくということです。そもそも教員になるのが嫌で、田舎を飛び出した人間が、大学で教えているなんて、また企業で教えているなんて、不思議ですよね。

 つい先日亡くなったスティーブ・ジョブスさんが、2005年のスタンフォード大学の卒業式でのスピーチで、点をつなげる(Connecting dots)という表現をしていました。人生での経験が意外なところでつながり、役に立つという意味です。まさにそうなんだと思いま
す。

 いまだに、人間関係づくりは得意ではありません。PONTAさんや松田さんを見習って、頑張ろうと思っています。しかし、ひとつだけ実行していることはあります。幸運の神様には後ろ髪はないということです。チャンスだと思ったら前髪をつかむこと。その神様は、通り過ぎてしまうと、つかむことができません。いろんなことに興味を持って、アンテナを張っておくことです。人生にはいろいろな選択肢がありますから。
 でも、一度はどこかで仕事をしておく。組織の中で窮屈な思いをしながらでも仕事をしておくことは、必ず役に立ちます。

 思いをうまく表現できずに、イライラしながら書き進めてきました。みなさんにはどこかで実際にお目にかかることがあるかもしれません。
 それでは、ごきげんよう。

Office G&C
代表 中山 正人