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体験談・コラム

人間は変わるのかも......(前編)

人間は変わるのかも......(前編)

Office G&C
代表 中山 正人さん


■人間って、不思議やな......
 私は、2010年3月末に31年のサラリーマン生活に終止符を打ち、独立しました(逆算するとバレますが、53歳のオッサンです)。
人嫌いでアカンタレの私がよく続いたものです。また、そんなアカンタレがよく独立したものです(我ながら......)。

 独立してからは、大学のキャリア支援にかかわり、非常勤講師をし、企業向けの研修講師をし、アメリカのビジネスパートナーと組んで、日本企業と海外企業のビジネスの仲介をし・・・。休みも満足にありません。研修や講演の仕事は声をかけてもらえなくなったら終わりです。ビジネスの仲介は成立しなければ、一銭も得られません。
 そう考えると、不安だらけです。でも、これまででは考えられないぐらい、前向きに仕事をしています。土日にゆっくりと休めることがあまりないにもかかわらずです。ホンマに信じられません。

 そんな中で、ふと昔のことを思い出しました。そして「人間って、不思議やな」。どう不思議かって? それは人それぞれ......。

■人と接するのが苦手な子ども時代
 私は生来、人と接するのが苦手です。だからパーティーなどで知らない人に話しかけるのは、本当に苦痛です。自分自身に「ほら、いくでぇ」と掛け声をかけないと動けません。その場から逃げ出したいと思うこともしばしばです。ですから、周囲の人は、私と親しくなるほどに、私が本質的には人づきあいが苦手で、人嫌いであることを次第にわかってきます。

 そんな自分が嫌になったことも一度や二度ではありません。だから、「自己分析」が嫌いです(もっとも私の学生時代には「ジコブンセキ」という言葉も、それに「シューカツ」という言葉もありませんでしたが)。分析したところで、ヘコむばかりだからです。

 そんな私が、現在は人さまの前で話をする、人とかかわる仕事についているのだから、人生は不思議としか言いようがありません。

 私はあいさつのできない子供でした。徳島の田舎で小学校の教師をしていた両親は、休日に私を連れて出かけると、いろんな知り合いに出会います。それは私にとっては恐怖の瞬間でした。前から歩いてくる人が、親の知り合いでないことをひたすら祈っていました。

 運悪く、親が知り合いと出会ってしまい、挨拶が始まると、私は親の後ろに隠れたり、あらぬ方向を見つめたりしていました。とにかく「話しかけないで」という、自分なりの精一杯の意思表示だったのです。口に出して意思表示できるぐらいなら、こんな苦労はしません。しかしそうした抵抗は、「またこの子は・・・」という親の一言ではかなく崩れてしまい、無表情で小さな「こんにちわ」という声に変ってしまうのでした。

 一方、一人遊びは好きでした。何か悪さをして祖母に暗いイモ部屋(ジャガイモを保存しておく暗いところ。発芽を抑えるために暗いところで保存します)に閉じ込められたとき、泣き叫ぶどころは、ひとりで機嫌よくしていたというのです。

 田舎の濃密な人間関係はとてもわずらわしく、とにかく大人になったらそんな世界から解放されたいと思っていました。「田舎から出たい」それが私の受験勉強の原動力になっていました。念願かない、神戸というとんでもない大都会での大学生活をすることになりました。これが私の第2のルーツです。


■苦手なことばかりの新卒入社
 22歳の春。就職した会社で配属されたのが、よりによって人事部門。「また人かよ(人事は人を見る目がないのかよ)」。
 都会での生活を望んでいた私を待っていた地方の工場勤務。生産現場での三交代勤務実習で、たっぷりと現場のオッチャン達の濃密な洗礼を受け、あまり楽しいとは言えない日々を送っていました。
 「仕事のやりがい?」そんなことは考えたこともありませんでした。かといって、転職という選択肢もありませんでした。仕事に希望を持っていなかったのです。そんないい加減な新入社員だったのです。

 仕事とはそれなりにきっちりやっていました。公務員の家系の血なのでしょうかね。親も祖父も教訓と言えば「仕事はまじめに・・・」。そんな日を送るうちに、24歳で結婚し、25歳で大阪の本社へ転勤になり、厳しい上司の下で、ひたすら休日を待ち焦がれる日々でした。


■一冊の本が仕事観を変えた
 27歳の時だったと思います。会社にとても頭のいい後輩がいて、経営学が面白いといろいろ吹き込んでくれたのです。騙されたと思って入った本屋で、たまたま手にしたのが経営戦略についてやさしく書かれた本でした。ちょっと面白いかも、と知的好奇心がちょっと刺激されました。この一冊の本が私を変えたのです。
 
 大学では経済学部でしたが、私自身は所属学部を訊かれると、「軽音楽部」と茶化して答えていたぐらいで、本当に勉強せずに、ロック小僧を気取ってギター三昧の生活をしていました。そんな私にとっては、まったく新しい興味深い世界でした。そのころから、ビジネス(仕事)に少しずつ興味がわいてきました。


■初めての転職
 30歳になったばかりの春、転職しました。今から思うといい加減な動機でした。会社での濃密な人間関係やら、人事労務部門で地方の工場勤務を繰り返すことへの不安やらで。
みなさんから見ても、「ホンマにアカンタレやな」と思われるでしょう。

 人間との付き合いが多い人事の仕事から離れたかったのですが、経験のない仕事で転職者を受け入れる会社はありません。結局は、人事の仕事で転職をすることになりました。1989年春のことです。よくカミさんがOKしてくれたものだと思います。

 転職してみると、少し風景が変わりました。比較的新しい会社で、ベタベタな人間関係がなかったので居心地がよかったのでしょう。そうすると、仕事への取り組みも多少は前向きになり、成果にも表れてきたのでしょうね。若い会社だったのでh、他に人がいなかったのかもしれません。31歳で人事部の課長になり、気が付いたら、自分の思いとは違う仕事をしている自分がいました。あまり頻繁に転職をするわけにもいかず(転職は、新しい人間関係の中に入っていくので、結構エネルギーが必要なんです)。


■人間の能力は、自分が思っている以上に大きい
 39歳、1997年の秋、一念発起して、仕事をしながら経営大学院へ行こうと思い立ちました。新聞の募集広告を見つけたのはカミさんでした(今も頭があがりません)。入学試験を受けたら、ラッキーなことに合格。
 しかしながら、喜んだのもつかの間、仕事と大学院生の二足のわらじは生易しいものではありませんでした。まして、大学の4年間、勉強らしい勉強をしていない身で、40の手習いです。もともと体力のない私にとって、1日4〜5時間の睡眠はとんでもない苦痛でした。でも、そうしないと、次から次へ課されるレポートは書けません。通勤時間やちょっとした隙間時間も貪欲に使いました(使わざるをえませんでした)。

 支えになったのが、大学院を続けられるのか不安になって相談したある人の「中山さん、人間の能力って自分が思っている以上に大きいよ」という言葉でした。苦しく、しかし最後の方は、修士論文に苦しみつつも、妙に楽しい1年半(2年の予定が1年半で修了できたので半年分の授業料が助かりました)でした。

 いろいろな人と友達になり、付き合いの幅が広がりました。もうちょっと人との関係づくりが上手だったら、もっともっとネットワークは広がっていたのでしょうが(ちょっと複雑な気分)。
 ともあれ、時間のやりくり、仕事のやりくり、何とかなるもんやな、ということを実感しました。

 さてこれが激動の四十路の幕開けでした。そんなこととはつゆ知らず、曲がりなりにも大学院を修了できたことをただただ喜ぶ私でした。
 どんな激動かって?それは後編へつづきます......。

■この寄稿文を読んでくださるみなさんへ。

 今回、「既卒ナビ」のサイトのなかで様々な体験談やメッセージを募集している、ということで、ちょっとしたヒトリゴトを書かせていただくことにしました。
(まっちゃん、おおきに)

Office G&C
代表 中山 正人

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中山 正人さんの略歴

■現在の職業:
・Office G&C 代表  
 仕事術ナビゲーター
(仕事を効率的にする方法や、ロジカルシンキング、マネジメントなどの研修を手がける)
・帝塚山学院大学非常勤講師

■略歴:
企業勤め31年
化学メーカー(ミラバケッソの会社)を皮切りに、アパレル関係など
合計3社で、人事や経営企画の責任者を経験。
大学のキャリアセンターの責任者も経験(3年)したのち、Office G&Cを創業。

■趣味:飛行機・・・見ること、乗ること、作ること(これは模型)、そしてEric Clapton