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体験談・コラム

体験談(2)就いた仕事が天職になる

体験談(2)就いた仕事が天職になる

■名前:佐藤 允さん

■生年:1955年生まれ

■「人はいくつになっても成長する」がモットー。
学校・企業・労働力需給調整機関・地域コミュニティーにて ワークショップ講師、キャリア・カウンセラー(相談員)を務めている

■略歴

1981年 高校受験予備校 講師 不登校・中退問題に取り組む
1983年 大手教育企業 ㈱ウィザス (JASDAQ上場)入社
1996年 取締役に就任 系列子会社 第一学舎 社長 
2006年 自立 / KSCCでカウンセリングを学ぶ
2007年 大谷大 キャリアアドバイザー
    夙川学院短大 非常勤講師
2008年 近畿大学法学部 非常勤講師 
2009年 関西職業能力開発促進センター 能力開発支援アドバイザー
    近畿大学 文芸学部 非常勤講師
2010年 HIYODORI Café ( 生活習慣改善事業&カウンセリング)の運営
2011年 立命館大学 学生就職支援 (模擬面接指導)
   枚方若者サポートステーション
   運営アドバイザー
   南大阪地域大学コンソーシアム 教育コーディネーター


■オイルショック後の就職難
私が学校を卒業する頃はそんな感じが充満していました。
新聞社をうけましたが、二次選考で落選、卒業後は環状線鶴橋駅の臨時職員として朝のラッシュ時のお手伝い、夜は中央郵便局で郵袋の仕分けと搬送補助等の仕事をして食いつなぎました。――いつも寝不足でした。

朝9時に出社して夕刻に帰る広告会社の嘱託職員になりました
――校正しながら、生意気なことを思いました。「コピーライターたちより俺のほうが文章は巧い!」。そんな私は可愛がられるはずがありません。半年で辞めました。


■自覚したこと
――頭をおさえられる職場では自分は働けない→社長か、教員しかない!
ようやく悟った私は、中卒浪人対象の高校受験予備校兼学習塾の講師として25歳から働きはじめました。初めて厚生年金を納入する立場となったのもこの時です。

金八先生的に2ヶ年勤め教科の指導技量を高めた後、大手教育サービス企業(←その時点は大手ではなく、利益11万円の中小企業でした)に入社しました。
「私塾界の新しい歴史づくりをめざして」と経営ビジョンに魅せられたのです。そこに賭けようと決意できました。ビジョンに夢を感じたのですね。成長できそうな予感がしたのですね。
その会社――第一ゼミナールのブランド名で知られる㈱ウィザスに入社した時が27歳でした。


■教員を退職
以来、教員として社員として懸命に働き、取締役として経営にかかわるようになりました。
そして50歳を迎えた年、私は「あと10年このまま働いて果たしてハッピーだろうか」と自問したのです。教育サービス業界で四半世紀過ごした私は、個人で何がどこまでできるか試してみたいという思いがあふれ出そうになっていました。中間決算の前日に退職願いを提出したのです。

生徒らへの教科指導・進路指導だけでなく、経営幹部として、職場になじめなかったり、成果目標に届かずに悩む社員をカウンセリングしたりした経験が私にはありました。社外のネットワークづくりや自分の啓発的な勉強ができていなかったのはネックではありましたが、ハッピーを求めて決断しました。


■3つのC
3つのC・・「カウンセリング・コンサルティング・コーピング(ストレス対策)」・・これが次の自分の歩む柱と考え、退社したのです。本格的に勉強するため、昼は関西カウンセリングセンターへと通い、夜は学習塾講師をしながら、企業コンサルタントや大学でキャリア・カウンセラー、非常勤講師としての道を歩み出したわけです。私は講師から始まって役員も務めました。従業員と経営者両方の気持ちが分かる」・・それが強みです。


■最後に
企業・学校・若者サポートステーションやジョブカフェで私が皆さんに言っていること
・適性検査も自己理解も他者理解も職業理解もほどほどに――やりすぎると行動力が削がれる
・行動する時に大事な考え方は「一歩踏み出すこと。就いた仕事が天職になる」という事実
・「志をたてるのに遅すぎるということはない」――40歳で政治家を志したボールドウィン(英国)の言葉